2025年07月28日

2017年度 第117回月例研究会

第117回月例研究会

日時:2017年7月22日(土) 14:00~17:00
場所:渋谷区笹塚区民会館4階和室
【会場案内】
渋谷区笹塚区民会館
〒151-0073 東京都渋谷区笹塚 3-1-9
・区民会館は催し物に関する質問にはお答えできませんので、会場への電話問い合わせはご遠慮ください。
・会場は駐車場がありませんので、自動車での来場はご遠慮ください。
案内図:https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kmkaikan/km_sasazuka.html

報告者:高橋一行(明治大学)

タイトル:カントの魂論

報告概要:
2017年4月から9月までの予定で、ケンブリッジ大学に出掛けている。7月22日に一時帰国し、その研究成果の中間発表を行いたい。
 カントの魂論を扱う。魂論としてまず「魂の器官」(1796)を読解する。この論文から菊地健三は、2015年の著作において、魂の原理として動力学という概念を抽出し、かつそれが、カントの主要著作のすべてを支配する原理であるとしている。それを受けて私は、その淵源を辿ると、ライプニッツのコナトゥスに行き、さらにホッブズに行き着いた。ホッブズとカントと直接の繋がりはないが、機械論を徹底して、その先に目的論を宿すという点で両者の手法は似ている。これを第I部で論じる。
 具体的には、
 1.古代、中世からあったコナトゥス概念を、デカルト、ホッブズ、スピノザが展開したこと。
 2.ホッブズの、その自然哲学だけでなく社会契約論においても、コナトゥス概念は根本であること。
 3.ホッブズのコナトゥスを若きライプニッツが受容し、のちに動力学概念へと展開したこと。
 4.前批判期のカントに、この動力学概念が大きな影響を与えていること。
 5.前批判期のみならず、カントの生涯にわたって、その主要著作に、この動力学概念が根本としてあるこ
  と、以上である。      
 上記1-4のそれぞれについては、多くの先行研究が存在するが、1-4を通して論じるものは見当たらない。また5については、私の知る限り、菊池健三のみが主張している。本発表Iは、その菊池の主張が正しいことを確認するためのものである。
 第II部では、まず「脳病試論」(1764)を取り挙げる。1750年代にカントがヒュームによって、独断のまどろみを覚醒させられたことは良く知られているが、実は、そののちの1760年代に、ルソーによって、もっと本格的にカントはその思想を脅かされている。そのことがこの短い論文によく表れている。しかしこの論文は体系的に書かれたものではないし、のちの『人間学』で同じテーマが扱われるが、議論は矛盾、または錯綜している。菊池健三の2005年の著書には、カントには、哲学者の視線と観察者の視点があるという指摘がある。
 後者は、『美と崇高』や『人間学』、「自然地理学」に見られる。「脳病試論」をここに入れても良い。
 前者は第一、第二批判とそれに対応する形而上学の著作に現れている。さてこのふたつの視点が、第三批判の美感論と目的論で調停される。菊池の著作は坂部恵の示唆の下で書かれ、その問題意識を具体的に記述したものだ。坂部は、観察の視点で行われた「人間学講義」が第三批判の前半、美感論に繋がり、「自然地理学」が後半の目的論の議論に繋がると指摘している。
 菊池はそれを受けて、性差の問題を取り挙げる。若きカントが、美は女性の、崇高は男性の特性であるとしたものが、後期の著作において、女性の特質が、夫婦の特質つまり、夫婦ふたりでひとりの人格を持つことが主張され、さらに第三批判では、市民社会において、その根本ルールを道徳に求め、その単位を夫婦に求めて、人類の行く末を見つめているとしている。私はこの指摘をヒントに、「脳病試論」と『人間学』の心の病が、これも観察者の視点で書かれたものだが、最終的には、これも第三批判の目的論の水準で議論すべきであるということを確認したい。それが第II部の仕事である。
 すると、まずヒュームによって脅かされることによって、ライプニッツ流の形而上学から脱却したのではなく、却ってそれを深く自らの思想の究極的な支えとしたということと、ルソーからは、理性をはみ出すものに対しての視点を獲得し、そこからカントは人間の理性の限界の学という形而上学を確立しようとしたのだという坂部の結論、及び第三批判からさらに『オプス・ポストムム』において、動力学の概念がますます強く展開されているという、菊池の説とを確証することができる。
 補足的に、カントに主体の逸脱を見ようとするフーコーの「人間学論」についてコメントする。またもうひとつ、最近の英米では、第一批判の、魂は実体であるというカントの誤謬推理の指摘に基づいて、ではどのようにmind-bodyを考えるのかということで、embodimentという概念が提出されている。このことについても言及したい。